豆腐のお話

皆さま、冷え込み寒い中いかがおすごしでしょうか?

世界各国のお客様に京都にお越しいただき日本の、京都の文化、歴史、町並みを楽しんでいただき大変、うれしく思っております。
文化、歴史の中には当然、お食事も含まれ、日本各地域にも立地や気候により食文化も細やかに歴史があり京都のお食事といえば湯豆腐はかかせません。

そこで本日は少しとうふのお話をしたいと思います。
推測の域や私見も入りますのでご了承ください。

まずおとうふは中国(その時代は漢)、准南王劉安により発明されたという説が有力です。
そしてその豆腐を日本に持ち込んだのは、遣唐使という説が有力です。
遣唐使は、飛鳥時代から奈良時代にかけての時代で、その後、都は京都へと移ります。

京都にはたくさんのお寺があり禅宗の総本山である南禅寺などあり時代背景としても仏教と共に伝わってきた豆腐は、精進料理として欠かせないもので殺生を禁じられている仏教徒の食事に、大豆を原料とした豆腐は貴重なタンパク源としてなくてはならない食品でした。
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当時、馬や牛はトラクターや車代わりに使われ運搬、農耕をして、鳥は卵を食し生かして食べ、何より殺生を善しとせず、人間と動物たちが今より共存していた時代、肉を食すことは現在より格段に少なく肉は貴重なタンパク源であり、ごちそうでした。
そんな肉に似た食感、味を持つ豆腐は精進料理という位置付けだけでなく、都に住む貴族、武家など当時のセレブの間、広く普及したと言われています。
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【期間限定の立春大吉どうふ】

それに付け加え、生命にとって欠かせない水。京都はおとなり滋賀県にある琵琶湖の水量に匹敵する良質な地下水のおかげで発展を遂げました。
鴨川紅葉
【京都市内、中心を流れる鴨川】

また、京都は東西北と山に囲まれた内地にあるため現代にあるような流通手段はなく食材は限られていました。
貴族、武家など食に対して口うるさい人々の中、豆腐屋はより美味しいものを作るべく切磋琢磨し、それが後に「とうふどころ京都」と呼ばれる所以になりました。
このように京都の名物として現代に語られるには古く昔から先人のたゆまぬ努力、大自然が育む恩恵があってこそ成り立つものなのです。

豆腐製造の技術も向上し生産数も増え庶民にも広まりだします。

そして南禅寺に話は戻ります。
南禅寺は臨済宗南禅寺派大本山、その南禅寺の湯豆腐が世間に知られるようになったのは、江戸時代寛文の頃(1660年前後)より、門前の番所で、番人が旅人に豆腐の煮売りをしたのが始まりと言われています。やがて南禅寺門前では精進料理として湯豆腐が名物になっていったものと思われます。
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その他にもとうふと山芋を練り合わせ、海苔を皮に見立てた「山うなぎ」、味噌で漬け込んだ「山うに」など味だけでなく見た目も似せて食べる工夫がなされ食に対しての楽しさ、工夫を感じずにはいられません。これらは「豆腐百珍」などで今でも文献として残っています。
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【山うなぎ、山うにを使った夏期期間限定のとうふ百珍冷やし茶漬け】

このように工夫に工夫を重ねた食の歴史を堪能していただければと思います。
ぜひ京都にお越しの際は京都の名物、ゆどうふをお召し上がりいただきたく思います。
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主菜IMGP9126a_IGP8082.JPGa
南禅寺順正
http://www.to-fu.co.jp/
清水順正おかべ家
http://www.okabeya.com/